2007-06-05
禺画像]
これは、先日、某ギャラリーさんから届いたDMの束の中に入っていた、
あるシンポジウムのチラシの一部分です。
タイトル読めます?
ズバリ、
『金と芸術』[LINK](←クリックでシンポの内容についてもう少しだけ詳しく)
「なんじゃこりゃ?」と思ってチラシの中身を読んでみると、
もともと『金と芸術』[LINK](ハンス・アビング著)
サブタイトル "なぜアーティストは貧乏なのか?-芸術という例外的経済-"
(嗚呼!サブタイトルが身につまされる・・・(/_;))
という本があって、その内容をたたき台に、
「日本におけるアートと経済の関係」について話し合う、シンポジウムらしい。
そも、日本に「アートと経済の関係」が存在するのか?という疑問はさておき。
去年NYのアートマーケットの存在にカルチャーショックを受けて帰ってきた身として、
かなり興味深いテーマではあるので、聞いてみたいな〓。
でもこれ、会場は東京です。ムリですね。残念。
なら、『金と芸術』を買って読んでみようかな、と思ったけど、値段高い!
(この値段では中身を見ずには買えな〓い)
同じようにアートと経済について綴った本では、
最近本屋さんで、村上隆の『芸術起業論』[LINK]をサラッと立ち読みしたけど、
「村上さんは成功して良かったデスね!おめでとう!」
っていう感じの内容だったので、買ってまで読む気にはなりませんでした。
それにしても。
去年経験したカルチャーショックは、相当なダメージで、
ちょっと前に某画廊のオーナーさんと飲みに行った時にも、
某後輩さんの個展を見に行った時にも、
オヤジの説教のように、口をついて出てしまいました。
『私(たち)がやってること(画廊で作品を発表すること)は、
日本の世の中の仕組みに何の関連性も無い!』
んだ、ってこと。
ずっと以前から薄々感づいてはいたのですが、
去年のNYで、直視せざるを得なくなった気がします。
もっと若い頃は、世の中と繋がってないことを逆に、
『特権的存在』みたいな、
良いように解釈していたところがあったのですが、
展覧会を重ねてきた最近、それは『特権』じゃなくて、ただ単に、
『無視・排除され、浮いてるだけ』の話なんじゃないの?
と、思い始めてきました。
NYで見たものは、ショッキングでした。
食料品や服と同じように、経済活動の中でやり取りされる物品の一つとして、
社会に組み込まれたカタチでの「芸術」がある。
「芸術」と言うより、正に『アート』という呼称がぴったりな存在として、ある。
ギャラリーは作品を展示・販売するためのショールームで、
作家は作品(=商品)をギャラリー(=商店)に納入する製造元。
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