地震災害・原発災害、その他悶々
2011-04-28



 
ブログだけ見てる方、すっかりご無沙汰しています。
 
(Twitterではずいぶんと戯れ言を垂れ流している)
 
 
 
 
 
この1ヶ月、地震災害と原発災害のニュースに心かき乱されてます。
 
ワタクシなんぞ、問題解決に於いては何の力も無いのです。
 
出来ることといえば、「忘れないで関心を持ち続け見続けて行く」ことだけ。
 
 
 
そうして、日々TVやネットのニュースで流される情報を眺めている中で、
 
どうも釈然としないことがある。
 
 
 
ニュースで報道されるその情報は、
 
 
『単なる願望』に過ぎないのか?
 
『今は確認されていないが恐らくこうであろうという予測』なのか?
 
『すでにある客観的事実』なのか?
 
 
この3つの区別が容易につかないということ。
 
うまい具合に細かい表現がボカされていて、
 
聞く人によっては、どうにでも取れる言葉を使う。
 
 
『ただちに健康に害を及ぼすものではありません。』
 
 
これなんか、今回の原発事故の記者会見で最も有名なフレーズだけど、
 
もっと微妙なのもあって、
 
 
『○○は確認できませんでした。』
 
 
というの。
 
 
これなんか、例えば、
 
『放射性物質の漏れは確認できませんでした』
 
こういう表現を聞いたときに、ある人は、
 
「あ、じゃあ、放射性物質は漏れてないのね。よかった。」
 
と受け取るかもしれないし、ある人は、
 
「きちんと確認できてないなら、放射性物質は漏れてる可能性があるのよね。」
 
と思うかもしれないでしょ。
 
これって、受け手側に判断を投げてるんですよね。
 
 
 
確かに、原子炉には近づけないので、内部がどうなっているか、
 
本当に何が起きているかは、確認は基本的にできていないのが現実。
 
 
「確認しようとしたが、漏れているかいないか断定しかねている」
 
=『放射性物質の漏れは確認できませんでした』
 
 
言い分としては、
 
「事実を嘘偽り無く伝えているだけ」と言えば、だけですけど、
 
でも、人間が肉眼で確認できないのをいいことに、
 
色んな情報、特に悪い情報がボカされ、薄められて、
 
人が害を被る可能性がある事柄が、ちゃんと伝えられてないのでは?
 
こういうのを、『情報操作』と言うのでは???
 
 
『確認できていないこと』=『無いこと』
 
 
みたいな判断基準で報道がなされると、、、
 
いや〓、それは困る!
 
(水野解説委員!圧力に負けずに真実を伝えて!!)
 
 
 
とかなんとか、、、
 
 
 
そして、被害に遭われた方の、生活再建と補償を。
 
これは地震と原発事故共に、一日も早くと。
 
政府と東電が妙なことをしないように、とにかく見て行くこと。
 
関心がそれたら自分たちの保身にまわるから、絶対見てること。
 
 
とにかく、悶々とする日々は当分終わらない。
 
 
 
 
 
 
しかしながら、お部屋の片付けもしないといけないので、、、
 
 
 禺画像]
 
 
組み立て家具買って、床とかCDデッキに積み上げてあった物を収納。
 
まだこれから本棚の中の不要な本を処分しないと。
 
本棚からはみ出している本がまだまだあるので。
 
 
これは、これから関西地方で起きる可能性のある地震への対策。
 
とりあえず、揺れによって崩れてくるような物の置き方はやめる。
 
まだまだお片づけの先は長い...
 

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